24の映画賞で40のノミネート、さらに6部門で受賞するなど話題の社会派ヒューマンドラマ『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』。ハリウッドの次世代を担う旗手と称えられるJ.C.チャンダー監督のインタビューが届いた。
―この作品が実現するきっかけとなったカンヌ国際映画祭について教えてください。
僕は脚本も書かないうちから、知り合いのプロデューサーや映画制作仲間に、この映画のことを売り込み始めた。ストーリーは頭の中にあったんだよ。『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』の制作が終わった春頃に脚本を書き、とても満足できるものができたんだ。書き終わったのはカンヌに行く1週間前だった。
ちなみに、ジェシカ・チャステインとは以前に何度か顔を合わせていた。2011年、『マージン・コール』が賞レースに呼ばれ、いくつかの授賞式で会ったんだ。あれは彼女が輝いていた年で、すばらしい映画の数々に出演していた。僕はまだ新人で、新人作品賞とか新人監督賞とかをありがたく頂戴したんだ。
カンヌで誰かに『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』の存在をリークされてね。それがこの映画の制作発表になったわけだが、とても興奮したよ。もし『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』のウケが悪かったら、そんなことにはならなかっただろうからね。カンヌで過ごした数週間は夢のようだった。僕のキャリアが確かな地盤を得たんだ。人生を懸けてこの道に進むチャンスが得られるかもしれないと思ったよ。
ジェシカは僕の映画のワールドプレミアに来てくれた(『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』、2012年カンヌ映画祭)。こんなことを言うのはおかしいけれど、彼女は映画を見るのが大好きでね。だからただ映画を見るために、その年のカンヌに来ていたんだ。僕たちが参加した米国エイズ研究財団amfARの催しの後に大きなパーティーがあったんだが、天気が悪くてホテル・デュ・キャップの中庭が閉鎖されてしまってね。本来はそこに3000人くらいが入る予定だったから、結果的に、大勢が小さな部屋にすし詰め状態になってしまった。ジェシカは小さな長いすに座っていたんだけど、僕たちを見て同席しないかと誘ってくれたんだ。そこで彼女に新しい作品のことを聞かれたから、僕はぎこちなく出演の話を持ちかけた。一緒に座っていると、そういう話題になるものなんだ。「とても面白そうね、脚本を見せて」と彼女は言ったが、その時に出演は決まったようなものだった。
―ジェシカはオスカー・アイザックの起用に大きな役目を果たしたと聞きました。
ジェシカは僕にオスカー・アイザックを薦めてきたんだ。「彼の母親はグアテマラ出身で、父親がキューバ出身。本人はマイアミで育って、ジュリアード音楽院に入り、ウィリアムズバーグに住んでいて、コーエン兄弟の最新作(『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』)に出演しているから、会ってみて。アベル役は彼よ」とね。
オスカーはアーティストだし、このストーリーに深い思い入れもある。本人に話をしたら、アベル役に本質的な共感を覚えたようだった。
ジェシカは、その気になるととても粘り強い人で、しつこくオスカーを薦めてくれた。実はすでに彼に決めていたんだけどね。去年の10月、彼女は4ページにわたるメールで、オスカーがアベル役にふさわしい理由を力説してくれた。僕はそれに1行だけの返事をしたよ。「彼をキャスティングするけど、まだ伝えないでくれ」とね。(笑)
―オスカーとの出会いはどのようなものでしたか?
テルライド映画祭で彼と初めて会った時、彼は『Ex Machina』出演のためにひげを伸ばし、頭髪を剃っていた。僕の思い描いていたアベルとは全然違う姿だったね。「ひげは剃ればいいから心配しないで」と、彼は言った。そこから定期的に会うようになったんだ。彼が住んでいるのは、この映画の舞台でもあるウィリアムズバーグだ。もちろん、30年前とは随分変わってしまっているがね。一緒に歩き回ったり、当時の産業の遺物を見せたりして、一から徹底的な役作りを始めたんだ。
―情熱的でとても存在感のある役を演じる俳優たちと一緒に仕事をするのは、どうでしたか?
最高だったよ。4年間で僕が手がけた3作の映画を見てほしい。1作目(『マージン・コール』)の時は、とにかく頑張ろうと必死だった。脚本の出来は信じていたけれど、長編映画の経験もなかったし、あれほど豪華なキャストも初めてだった。だから新人監督なりの自信を持って、脚本を聖書のように扱った。あの作品では、「出演者に求めることをよく分かってるね」と多くの俳優に言われたよ。彼らには自由に演じてもらった。でも監督として、必要がある時には引き戻す。それが俳優の求めていることだと思う。彼らは作品の完成形が分かっている人が欲しいんだ。完成形が分かっていれば、俳優として、その形になるように導いてくれる。当時の僕には分かってなかったけどね。なにせ相手はケヴィン・スペイシーとジェレミー・アイアンズだ。余裕なんてなかったよ(笑)
2作目(『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』)のような映画は、もう作れないだろう。俳優との関係は他に類を見ないものだった。相手はアメリカの伝説、ロバート・レッドフォードだ。彼は地に足の着いた人でね。友達になれてとてもうれしかったよ。一緒に仕事をしている時も優しい人なんだ。でも、あの経験自体は奇妙なものだった。監督の僕がいて、演技する俳優は彼一人だ。つまり毎日、お互いの顔を見つめ合って撮影している。その後の編集工程は不条理な感じすらあったよ。画面がとても孤独だったんだ。出演者が1人だからね。本当に映画が完成したのかすら、はっきりしなかった。映画として成立していればいいと願ったよ。
それから『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』だ。本作では僕の同年代で、同じようなキャリアの段階にいる人たちと現場に立っている。皆、しかるべき理由でそこに立ちたいと思っているから、誰もがベストを尽くす。子供の頃から約20年もこの道で古典的な訓練を受けてきた俳優たちと一緒に仕事をしてるんだ。監督としてそういう人たちと仕事ができるのは、すばらしいの一言だね。おかげで演技以外の心配ができる。映画をより良いものにすることに集中できるんだ。彼らはきちんと準備し、全力で当たってくれると分かっているからね。
―映画監督として、更なる自信が生まれましたか?
そうだね。撮影現場の最初の数日、オスカーとジェシカを見ると、愛し合いながら競い合ってるようなエネルギーのほとばしりを感じた。この2人はかつて情熱的に愛し合っていて、今でもその愛が残っているのだと思えるほどだった。「成功したのはどっちのおかげだ」と互いに競い合ってるように見えたね。オスカーとジェシカはジュリアード音楽院の同窓生で、そこでは誰もが互いに競い合っていたんだ。嫌な競争ではなく、楽しい競争だよ。
そういうものが形になり始め、カメラに収められていくのを見ると思うんだ。「これだけの出来事があり、これだけの人々が集まって僕が書いたせりふを言ってくれるなんて、すごい。おかげで随分、楽ができる」とね。
―『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』というタイトルが、実際にはこの映画の中で起こる出来事を表現していないという点で、この作品には意外さがあります。大事なことが表面から隠れ、爆発しないながらもくすぶり続けるような映画にするつもりでしたか?
そうだ。これまでの3作の映画は、どれも脚本を書くところから始まった。今は脚本と監督を兼ねるという、大変だが恵まれた立場にある。僕が腰を据えて脚本を書き始める時には、完成した映画の確固たるビジョンが頭の中に出来上がっている。それを一定の時間をかけて引き出すわけだが、これが大変なんだよ。
僕の頭の中にはビジネスを立ち上げようとする夫婦のストーリーがあった。野心を主題にした移民の話だ。街角のベーカリーはいかにして生き残るのか、というような話だ。たとえば、あるフランス風のパンを作る小さなベーカリーは家族を養えているが、それ以上大きくなることはない。彼らの目標は、この小さな事業を営んで幸せに暮らすことだ。いずれ子供が店を継ぐかもしれない。だが、通りの向こうにあるベーカリーは、ショップライトのような大型スーパーマーケットチェーンになる。彼らにとって野心とは、幸せとは何なのか? こんなふうに家族で事業を営む夫婦の話を考えていた。
僕は5~6年間をかけて、頭の中でストーリーの要素を組み立てる。1つずつ拾い集めながらね。道を転がっていく回転草のようなものだよ。時には1つか2つのアイデアを失い、時には何かを拾い上げ、その一部とする。
僕は映画における暴力を分析し始めた。想像できると思うが、ボートに乗った男しか出てこない映画では、あまり稼げない(笑)。だから、『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』の編集期間中、仕事が必要だった。『マージン・コール』以降の2年間で、僕のところへ50ほどの脚本が送られてきた。『マージン・コール』はスリラーだったので、皆は思ったんだろうね。この脚本家はスリラーのことを分かっているから、銃を題材として扱わせれば良い作品ができると。だからオファーを受けた作品の9割は非常に暴力的で、そのうちの3割は不快なほどに暴力的だった。
僕には小さな子供がいるから、こんなことを思う。「これから3年間、人間の頭を切り落とす斬新な方法を考えることに身をささげて、殺人サムライが街を歩き回る映画を撮るのか」とね。そんな時、とても恐ろしい暴力事件が僕の身近で起こった。サンディフック小学校の銃乱射事件だ。家から2つ隣の町で起きた事件だった。当時、娘は小学1年生でね。事件直後、車で学校まで送っていったら、学校の入り口の前に武装警備員が立っていた。1日目は、警備員の意義が理解できた。だが2日目には、僕の実用主義の脳みそがこう考え始めた。どこかのサイコな17歳が射撃練習をするという事件はあったが、その後、僕らの生活は元通りになった。それなのに安心して学校に入るには武装警備員のそばを通らなくてはならないと、400人の子供たちに教えているのかと。
これはエスカレートする暴力の典型的な例だ。次に僕は犯罪統計のウェブサイトを訪れ、過去150年間のニューヨーク市の犯罪統計を見た。1970年代は一定のパターンで増加していた。そして1981年、記録上最も暴力的な年が終わると、大きな変革が起こる。翌年までには、いろいろなことが大きく改善され始めたんだ。そういった過去があって、この街が今の形になった。夜中にビキニで歩き回っても、誰も邪魔しない街にね。この変革は、過去をたどると1981年に始まっているんだ。そこでギャング映画を作ろうと思いついた。古典的な手法を使って、見る人にB級の銃撃戦映画と同じスリルを届けながら、最後にはギャング映画という前提をひっくり返すような映画をね。
―初めてアナ・モラレス(ジェシカ・チャステイン)が登場する時もそうですか?
この映画の始め、ジェシカはメイクをしながら、くしで髪をとき、鏡を見ている。妖艶な女性が登場するシーンの典型だ。映画の終わり、彼女が最後に例の契約書にサインする場面で、アベル以上ではないかもしれないが、同じくらい会社の成功に関係していたのだろうと観客は感じる。最初はギャング映画に典型的な妖艶な女性として描き観客の期待を煽るが、最後には彼女が会社のCFOであることを認識させる。この作品には、このようなどんでん返しが10回も15回もある。そうやって、みんなの大好きなスリルを提供しながら、我々と暴力との関係を語らせているんだ。
―映画全編を通して、アベルは自分が正しいと思う道を進もうとしています。これがあなたにとってどういう意味を持つのか教えてください。
最初、「この男は誰だ、これは何の映画だ」と、観客は考える。そこに、ほとんどの人にとって大きな転換点となるシーンが来る。アベルが研修生にセールスのことを教える場面だ。彼が売り込み口上を始めると、観客に説教しているような形になる。アベルに見つめられた観客は笑い出し、それから研修生たちが笑い出す。彼は「冗談ではない」と笑っている研修生を叱るが、これはある意味で、観客を叱っているんだ。
観客は映画館の座席で考える。「何だ、これは。ギャング映画なのか?」と。この時、アベルは彼にとって何が大事なのかを伝えている。「これは冗談ではない。生きるか死ぬかの問題だ。このために人生をささげ、家族との時間を犠牲にし、彼らを放ったらかしにした。そうやって自分はこのビジネスを築き上げているのだ」と。これらはすべて彼が自分で作り上げた神話の一部だ。移民のストーリーと聞いて人々が期待するものを、うまく裏切れていることを祈るよ。自力ではい上がるなんてありえないと気づくはずだ。
この国で成功するためにはチャンスが必要だ。そしてその成功は、先人たちが築いた礎の上に成り立っている。誰しも他人の上に自分の成功を築くんだ。でもアベルは、独力で成り上がるというアイデア、伝統的なアメリカの神話を受け入れた。それによって彼は優れたセールスマンとなり、自分を過信しながら生きるようになった。自分で全てを成し遂げてきた人なら、彼のように生きてもいいだろう。だが彼の会社は元々、妻の父親のものだった。トラック2台程度の小さな会社だったかもしれない。でも彼には何かしら得るものがあり、土台にできるものがあったという事実は消えないんだ。
脚本を書いている時は、こんなことは考えなかった。でも僕は映画監督として家族を養わなければいけないし、子供を大学に行かせたいし、みんなと同じようにおしゃれな車が好きだ。だから人生で何らかの選択をする時、僕は責任を負っている。白黒はっきりした選択なんて、今まで一度もなかった。いつだってグレーだったんだ。ストーリーのことを言えば、そういうグレーな領域にこそ、人間を描き出すヒューマンストーリーは見つかるものだ。
どの道を選び、どこへ向かおうとしているのかというね。本作でも、そこを描いたつもりだよ。
映画『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』は2015年10月1日(木)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国で公開!
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