歴史上もっとも華やかで、最高にドラマティックな伝説に包まれているヴェルサイユ宮殿の裏側で、ひとりの名もなき女性が起こす愛と奇跡を描いた『ヴェルサイユの宮廷庭師』に監督・出演のアラン・リックマンのインタビューが届いた。
―実在した人物が登場するフィクションという形で描かれたというのは大変興味深いです。なぜ、誰もが知る世界遺産ヴェルサイユ宮殿の実在する庭園と庭園建築士アンドレ・ル・ノートルの秘話を、フィクションで作ろうと思われたのでしょうか?
そのようなプリズムを通して歴史を見るというのは、興味深い視点ではないかと思ったんだ。私が特に気に入ったのは、サビーヌが実在する人物ではなかったどころか、彼女が存在するはずなどなかったということだった。つまり当時、女性がキャリアを持つことなど、不可能に等しかったわけだ。その「ありえなさ」というのがこの物語のポイントなんだ。男に支配される世界についての物語を、当時のことだけでなく、現代について人々に考えてもらえればと願っている。女性が自らの手を汚して何かを建設しようとしている姿、そしてシングル女性という複雑なライフスタイルであるという点など、現代と重なる部分が多々あると思う。時代物であることは、背景でしかないと感じる様になっていったね。もちろん背景をうまく描写しなければならなかったが、物語そのものは想像するという行為であるわけで、まるで映画に出てくる「舞踏の間」を建設するようなものだったんだ。
―構想から脚本化され、作品として出来上がっていくまで、映画製作にかけられた時間はどのくらいだったのでしょうか?
かなりの期間が費やされたんだ。というのも脚本を最初に読んだ時、私には『ハリー・ポッター』シリーズの契約があり、その当時まだ3巻まで出版されただけという状態だったからだ。つまり、その先どのくらいの期間、自分が映画を監督することが出来ない状態が続くかわからなかった。最低でも1年強は確保できなければ、監督作を手がけることなどできないものだからね。毎年、7週間はその撮影に捧げなければならなかった。それはある意味、結果的には良かったのかもしれない。私がようやく監督作を手がける準備ができた時になって、ようやくケイト・ウィンスレットがこの役を演じるのに相応しい年齢になったわけだからね。それ以前だったら、彼女はこの役には若過ぎるということになっていただろう。
―あなたご自身はアンドレ・ル・ノートル役に相応しくないと思われたのはなぜですか?あなたはその役を演じることを拒否されたそうですね。
私はその役には年を取りすぎているからね(笑)。実はそれもまた、我々が自由に解釈した点のひとつだった。彼は実在の人物であるわけだが、その当時、彼は70代だったはずなんだ。ラブストーリーにするには、2人は同年代でなければならなかった。
―それでは、マティアス・スーナールツが演じると想定して脚本が書かれたのでしょうか?
いや、そんなことはまったくなかった。これはキャスティングするのが非常に難しい役だ。あそこまで感情を押し殺し、抑制することを恐れないで演じる勇気のある役者でなければならなかった。それからまた、これはあらかじめ知る由もないことなのだが、ケイトとのケミストリーは最高だった。2人はスクリーン上、そして現場でとても相性が良かった。タイミングが良かったんだろうね。ケイトがちょうど適した年齢になっていたところに、『君と歩く世界』で人々に注目される様になったマティアスが現れたというわけだ。
―脚本はいつもたくさん送られてくると思いますが、この脚本のどういうところが特別で、監督作2作目はこの作品でなければ、と思われたのですか?
直感的なもので、脚本を読むとページ上にイメージが浮かんで来るんだ。初めてこの脚本を読んだ時、ページをめくりながら思わず微笑んでいた。というのも、「これはとても映画にはできない」と思っていたからなんだ(笑)。
―強い女性のキャラクターに興味を持たれるのですか?前作の『ウィンター・ゲスト』も、強い女性が主人公ですね。
男性と女性は一緒にいてこそ興味深いのだと思う。それにもまたルールブックがあるわけではない。正直言って、賞賛すべきことのひとつは、ケイトは自分の中にある男らしさを恐れないということだ。そして、マティアスもまた、自分の中の女らしさを恐れない。もちろん、ケイトが女性的な女性で、マティアスが男性的な男性であることにはかわりはないが、ふたりともそういう側面を恐れはしない。それどころかそういう側面を利用する。不思議なもので、彼の方が本心を隠したセンシティブな人間で、彼女は勇敢で常に前進していくんだ。複雑だがね。私はそういうのがとても気に入っている。
―ケイト・ウィンスレットには、現場でどのような演出をして、演じるにあたってのディスカッションをしたのですか?
ケイトの様な人との仕事は、どちらかというと自然に形作っていくというものだった。まず、彼女がこの役を引き受けてくれたということは、全力を傾けてくれるということを意味するもので、彼女はこの物語、人物像を理解している。そしてその同じ女性が、同時に脆さも兼ね備えているというのが、演じがいがあるのだと思う。彼女はとてもしっかりと準備をしてくる。監督にとってこれほどありがたいことはない。我々はその場その場で話し合っていったんだ。私からは「抑えて、もっと抑えて」、「もっと控えめに」という注文が多かった。そうやってしばらくやっているうちに、現場で共通の言語ができていった。俳優達は私がどの程度のレベルを求めているのかというのをわかってくれるようになった。それは正直なものでなければならないということだった。いかにも演じていると感じさせるというのではなく、正直さが大切だということだ。それから、彼女は自分の意見を求められるということにあまり慣れていないに感じた。これは女優にはよくあることだ。彼女たちが自分の声を持つというのは難しいものだ。あまりに多くの男の声に囲まれているからね。
―久しぶりの監督業はいかがでしたか?他の作品も考えていますか?それとも相応しい作品が出てくるまで待とうと思われていますか?
またやりたいと思う。俳優で監督業もやっている人はたくさんいる。イギリス人俳優にばかり、また監督をやりたいと思うかという質問をされるのをいつも面白いと思うんだ。ショーン・ペンやジョージ・クルーニー、クリント・イーストウッドなど、俳優、監督、プロデュース、脚本をこなす人たちはいるというのにね。
映画『ヴェルサイユの宮廷庭師』は10月10日(土)より角川シネマ有楽町、Bunkamura ル・シネマほか全国で公開!
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