映画『リュミエール!』のティエリー・フレモー監督にインタビューを行った。フレモー監督は、カンヌ国際映画祭の総代表を務めるほか、フランス・リヨンにあるリュミエール研究所の所長を務めており、リュミエールの作品の保存や初期のシネマトグラフ映画の復元に長年携わっている。
リュミエールは映画が楽しいものであるということを望んでいたんだと思います。ですから、リュミエールの頭の中では、映画というのはおもしろいもの、コミック的な要素のがあるということが大切だったんだと思います。
―ナレーションがとても興味深かったのですが、リュミエール研究所には映像以外の作品に対する記録は残っているのでしょうか?
リュミエール研究所にはそういった記録はなく、リュミエール家の人々もそういった記録は残していませんでした。そのため映画の歴史家たちがずいぶんと仕事をしました。専門家たちが研究はしているのですが、多くの仮説や質問が投げかけられる映画となりました。記録や資料が残っていないために、私たちが仮説を立てて作りました。そしてこの映画においてリュミエールのことを、私のシネフィルとして、映画を観る者としての立場から考えました。私はリュミエールを映画作家として考えてほしかったからです。リュミエールが作った映画は今日の映画と何ら変わりがないのです。今回この映画を作るのは、映画の発明者としてのリュミエールとは切り離して、映画作家としてのリュミエールについて話たかったからです。そして、私が書いたナレーションは、リュミエールに対するアーティストとしての尊敬からなっています。
―フレモー監督が考える今の映画と昔の映画の違いは何ですか?
まず、その二つを比較できないと思います。リュミエールの時代は一本の映画がだいたい30分くらいでした。その間に10本の映画を順々に観せていました。それを50名くらいの観客を前で上映していました。今日では、それは無理ですよね。ですから、リュミエール映画を今日の映画環境に持って来たかったのです。私はリュミエールの時代のリュミエールの上映会の真似をしたかったわけではないのです。ひとつの提案として、リュミエールの映画を使って一本の映画を作って、今の時代の人たちに映画館で観ていただく。ですから1時間の長編で、何本かのリュミエール映画を観るということではなく、一本のリュミエール映画として観ていただきたいです。当時はこういったナレーションはつかなかったと思いますが、観客の間からおそらくコメントが出ていたと思います。観ている人たちの「あー」とか「おー」とかいう声も上がっていたと思います。
―国から助成金が出ているということですがどれくらい出ているのですか?
お金が出たのはリュミエール映画の修復作業のみで、この映画に対してではありません。今フランス政府では、フランス映画をデジタルで修復するときに補助金を出しています。今後35㎜のフィルムを上映できなくなってしまうので、すべての映画をデジタルに変えなければいけないので、そのための補助金です。私たちリュミエール研究所の仕事は、修復して保存していくということです。リュミエール映画の修復には、3分の1が公共の補助金、3分の1がスポンサー、3分の1がリュミエール研究所から出ています。ただ、この映画にはほとんどお金がかかっていません。スタジオ、編集などの仕事がありますが、私はこの映画に対して給料はもらっていません。なぜならそれがリュミエール研究所としての仕事だからです。
―今後も修復を続けていくということですが、また映画化する計画はありますか?
今回のこの映画(『リュミエール!』)には、リュミエール映画約1500本のうちの108本が使われています。おそらくこれから同じような映画を第五弾くらいまで出せるんじゃないかと思っています。リュミエールの映画を世界中に広めていく神聖なる作業です。『スター・ウォーズ』のように第二弾、第三弾と続けます。
―この映画を観ると、多くの映画人がリュミエールに影響を受けているように思います。
小津安二郎監督にしても黒澤明監督にしてもリュミエール映画は観ていなかったと思います。観ていなかったと思いますが、この映画の中で名前を出したのはリュミエールも、この先に出てくる映画作家と同じことをやっていたということを言いたかったのです。この映画はリュミエール自身も、ひとりの映画作家であることの証明になると思います。今後はこの映画もありますので、若い映画作家にも何かしらの影響を与えるのではないかと思っています。時間を経過しても残っていくために重要なのは、シンプルさであり、事実であり、そこに詩があることです。
―フレモー監督とリュミエールとの出会いやリュミエール研究所との関わりは?
リュミエールとの出会いは、私はリヨンに住むシネフィルの若者でした。まさにいい時にいい場所にいたということかもしれません。それはリュミエール研究所ができるという記者会見の場にいました。会見の最後に「工場の出口」が上映され、それが初めてリュミエール映画との出会いでした。もちろん強い感動を覚えました。その時から常にリュミエールの映画をシネフィルとして観ています。
―リュミエール研究所所長、カンヌ国際映画祭の総代表として、またそれ以外の映画祭もありますが、フレモー監督の一年間のスケジュールはどのようなものですか?
去年本を著書を出版しました。カンヌ映画祭が閉幕してから次のカンヌ映画祭が閉幕するまでを日記形式にしています。それを読んでいただければわかります。そのページ数は600ページになるのでだいたい想像できるかと思います。大きく分けて二つの仕事があります。カンヌ映画祭とリュミエール研究所です。リュミエール研究所ではさまざまな仕事があって、リュミエール映画の保存や今回のような映画を作ったり、リュミエール映画祭という映画祭を開催しています。さらにリヨンにはもう一つ映画祭があります。スポーツ、文学、映画がテーマの祭りがあります。カンヌ映画祭では現代の映画を扱っており、リヨン映画祭ではクラシックな映画を扱っていますが私にとっては同じ仕事です。現代映画を評価するためにはクラシック映画の知識も必要です。リュミエール映画を分析するには現代の映画を知っていることが役に立ちます。それが私に年を取らせない秘訣となっています。
―今回参加した東京国際映画祭の感想はいかがでしょうか?
それを体験するというよりはホテルの部屋に閉じ込められていました(笑)しかし、大変喜んでいます。東京国際映画祭は重要な映画祭です。そこで選ばれている映画は素晴らしい映画ばかりです。そしてそれを選んでいる人たちは素晴らしい人たちばかりです。
―全世界の映画関係者が、フレモー監督が総代表を務めるカンヌ映画祭でのワールドプレミアを目指しています。今回の映画に関しては映画祭への戦略を立てましたか?
私は謙虚な気持ちで作り、映画館で上映できればいいなと思っていました。ですからこの映画が初めはパリ、リヨンで上映されればいいなと思っていました。そして結果的にフランスで大成功を収めました。フランスの配給会社が世界35か国に売りました。ですから最終的には、世界的な冒険をしているわけです。
【取材・写真・文/編集部】
映画はここから始まった―。1895年12月28日パリ、ルイ&オーギュスト・リュミエール兄弟が発明した“シネマトグラフ”で撮影された映画『工場の出口』等が世界で初めて有料上映された。全長17m、幅35mmのフィルム、1本約50秒。現在の映画の原点ともなる演出、移動撮影、トリック撮影、リメイクなど多くの撮影技術を駆使した作品は、当時の人々の心を動かした。1895年から1905年の10年間に製作された1422本より、カンヌ国際映画祭総代表であり、リヨンのリュミエール研究所のディレクターを務めるティエリー・フレモーが選んだ108本から構成され、リュミエール兄弟にオマージュを捧げた珠玉の90分。4Kデジタルで修復され、フレモー自ら解説ナレーションを担当する。
映画『リュミエール!』は2017年10月28日(土)より東京都写真美術館ホールほか全国で順次公開!
監督・脚本・編集・プロデューサー・ナレーション:ティエリー・フレモー
配給:ギャガ
© 2017 - Sorties d'usine productions - Institut Lumière, Lyon