「ワーナー・ブラザース 100周年記念セレブレーション・イベント」に渡辺謙、永野芽郁らが登壇した。
1923年4月4日に、ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー4兄弟によって設立されて以来、100年にわたり、革新的かつ絶大な影響力のあるスタジオとして、世界中の人々に愛されるエンターテイメント作品を提供し続けてきたワーナー・ブラザース。“最高のストーリーテラーを目指し続ける”というスタジオのDNAのもと、劇場での映画体験、デジタル、フランチャイズビジネスを中心に、邦画、アニメを含むローカルコンテンツの制作も活発に行い、ヒット作、名作が数多く誕生してきた。そして、4月4日に創立100周年を迎え、この一年をメモリアル・イヤーとして、映画・エンターテイメントのすばらしさ、物語が紡ぐパワーを、100年の映像史を振り返りながら様々な取り組みを企画していく。
今回、創立100周年となる4月4日に行われたセレブレーション・イベントには、髙橋雅美 ワーナー ブラザース ジャパン合同会社 社長兼日本代表、ジェームズ・ギボンズ ワーナー ブラザース・ディスカバリー WESTERN PACIFIC統括プレジデント兼MDに加えて、ワーナー・ブラザース映画作品に出演する渡辺謙(『ラスト サムライ』『インセプション』など)、永野芽郁(『仮面病棟』『地獄の花園』『そして、バトンは渡された』『母性』など)が登壇した。
100周年を迎えたことに「20年の間に、ワーナー作品に6本お世話になっていて、100周年の5分の1の時間をWBの映画に参加させていただけるんだと。歴史の1ページに参加させていただけているんだと喜びを感じました」と挨拶した渡辺。その渡辺とは今回のイベントが初共演で「すごいですよね!」と緊張した面持ちの永野は「記念すべき会にお招きいただき光栄です」と挨拶した。
イベントでは、ワーナー・ブラザースの100年間を映像で振り返った2人。「生まれた年の『ベン・ハー』は、どれだけ大変なことをやりとげたんだろうと。改めて、何回ため息をついても出尽くせないシーンの数々」と語る渡辺。そんな渡辺は、『燃えよドラゴン』が思い出深いとして「電車で30分くらいかけて友達3人で行った」と振り返った。一方で永野は「学生時代は劇場に友人と行くのは特別な出来事だったので楽しみにしていた。高校一年生の時、初めて地方ロケに行って、初めて一人で劇場に入って」と振り返りつつ「スクリーンを見ているときは一人じゃないというかスクリーンには入れている気がして鮮明に覚えています」と映画館での思い出を語った。
そんな永野が生まれた1999年に公開された『マトリックス』の映像が上映されると「いまだにに名作として引き継がれているものは、私たち世代でも見ているんだなと思いました」と感慨深げな様子を見せた。
そんな永野は、自身に影響を与えた作品について『最高の人生の見つけ方』(2007)を挙げ、「初めて見た時も泣いたんですけど、普段から自分の機嫌は自分で取りたいと思って過ごしているんですけど、周りの人を喜ばせることはできるのかと考えたら自分の仕事にも響くこともある」と語った。
クリント・イーストウッド監督作品の『硫黄島からの手紙』に出演している渡辺だが、イーストウッド監督については「『脚本はブループリントだから、みんなで現場で作っていくもの』と言って、リハーサル一回、本番一回だったりする。彼が俳優であり、監督である、そういうセンスを俳優に委ねる感覚が強い。その分僕らもそれに応えようとして」と明かした。数々のハリウッド作品に出演する渡辺を前に、MCから“ハリウッドへの挑戦”については聞かれた永野は「そんな謙さんを前に挑戦したいだなんて」と謙遜しつつも、MCから「言ったほうがいいですよ!」と促されると「挑戦したいです」と笑顔を見せた永野。渡辺は「あんまりハードルを上げないでおもしろい話が来たらやっちゃえばいい。選んでから苦労すればいい」と笑いを誘いつつ、アドバイスを送った。
最後に永野は「これからも一俳優として、一つ一つの作品に真摯に向き合っていきたいと思います。そしていつか謙さんとご一緒できるようにがんばります」、渡辺は「(コロナ禍で)劇場から足が遠のいた時期もありました。映像というものも多様化している時代だと思っています。でも最近映画館にお客様が戻ってきている感じがします。やっぱり暗がりの中で、映し出される巨大なスクリーンで、いい音である種のバイブレーションを感じられるのは映画館でしかないことだと思います。これからも素晴らしい作品を配給し、制作し、届けて欲しいと願っていますし、僕も参加したいと思っています」とメッセージを送った。
【写真・文/編集部】